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もうひとつの入浴文化―アラビア風浴場
【▲図1】
『テルマエ・ロマエ』は古代ローマと近代日本という、世界に冠たる二大入浴文化の間を主人公が往来する物語でしたが、世界の歴史では、隆盛を極めた主要な入浴文化圏がもうひとつありました。それがアラビア世界です。
7世紀に誕生したイスラム教は、またたく間に中東地域から北アフリカ沿岸一帯までを支配下に置き、勢力の一部はイベリア半島にまで及びました。そこではキリスト教文化とイスラム教文化が混ざりあった独自の文化が形成され、周辺地域の国家が何度か交代する間も安定した統治体制がながく続きました。
【▲図2】
現在のスペイン南部にあるコルドバには、8世紀からイスラム教国の後ウマイヤ朝の都が置かれていました。歴代のカリフらが住まいとした「アルカサル(宮殿)」(図2)が今でも残っていますが、もともとはもっと大きく、広大な敷地のなかには大掛かりな浴場までありました。
「Baños del Alcázar Califal(カリフのアルカサルの浴場)」は千年以上前から使われていましたが、「レコンキスタ(キリスト教勢力によるイベリア半島再征服運動)」の完成後に放置され、いつしか廃墟となっていました。1903年に遺跡が発見され、長年の修復整備を終えて2002年から一般公開が始まりました。
内部は冷浴・ぬるま湯浴・温浴・サウナと分かれていて、明らかに古代ローマ浴場の伝統を受け継いでいます。中心的なのはぬるま湯浴のゾーンで、広い室内には天井を支える柱が林立しています(図1)。柱頭の上にある馬蹄形アーチはいかにもなアラビア様式で、ふたつの文化圏の交差点に位置していたことをよく示しています。
【▲図3】
【▲図4】
サウナルームの形状もローマ風ですが、星型をした採光窓からは、アンダルシア地方特有の強い陽射しが差し込んできます(図3)。すぐ近くを流れる川で汲み上げた水を、浴場まで届けるための水路が当時は引かれていました。温浴室の近くの床下にはボイラー室があり、そこで熱せられた熱風が、床下の空間を通って各部屋まで送られていました。現代的なセントラル・ヒーティングのはしりとも呼べるこの高度な構造を、今も見ることができます(図4)。
(撮影・文:池上英洋)